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何度も引っ越しもしたし、断捨離をしたことだってある。
けれど、絶対に手放せないものが、だれしもひとつやふたつあるもの。
そんなKao PLAZA会員のみなさまのさまざまな「たからもの」を集めました。
今から約30年前、私は医療ボランティアで12月にロシアの極東マガダン州で一週間滞在。仕事を終えさあ帰国、と思いきや当時のロシアは情勢が不安定で空港が24時間閉鎖、飛行機に乗れず空港で一夜を明かすことに。
とはいえ空港内は暖房も切られ、極寒の地で極度の寒さと空腹でベンチで震えていた時、どこからかお婆さんがやって来て私にブランケットを、ロシア語が話せない私は通訳の人に話を聞くと「あなた達は日本の医療ボランティアの方だね、ありがとうねよくしてくれて、私がお礼出来ることはこれくらいだ」とブランケットを持って来てくれたのです。
朝になりブランケットを返そうとお婆さんを探すも見つからず、日本に持ち帰ることに。帰りの機中でこのブランケットがあって本当に助かったと感謝とともに一言お礼を言いたかった。
今も毎回飛行機に乗る度にあの時お婆さんがくれたブランケットのことを思い出しては感謝と後悔の繰り返し。見知らぬ異国の地で親切にしていただいたロシアのお婆さん、ブランケットは私のたからものです。
私の宝物はフェルトでできたウサギのぬいぐるみです。
私は幼いころ家でウサギを飼っており、その子をクロと名付け非常に可愛がっていました。しかしある日クロは亡くなり、私はすっかり落ち込んでしまいました。それを見かねた姉がクロを模したこのぬいぐるみを作ってくれたのです。
姉は手先が器用とは言い難く、正直に言うと不格好なぬいぐるみで、クロには似ても似つきませんでした。それでも姉が一生懸命に作ってくれたのだと思うとなんだか愛しく思えて、すごく嬉しかったのを覚えています。
今でもあのぬいぐるみ持ってるよと伝えると姉は「へたくそだからもう捨ててよ」と照れ臭そうに言うのですが、捨てずにいつまでも大切に仕舞ってあります。
私が生まれる少し前から3歳になるまで綴られた母の日記が、40年過ぎた今でも私の「たからもの」です! 私が実家を離れる時に手渡されたのですが、記憶のない3歳までの自分のことを知ることができ、とても嬉しく微笑ましく、また、若かった頃の当時の母の気持ちや愛情を感じとれる日記を読むのは照れくさかったですが、母ってこんなにもチャーミングな女性だったの?!と文章から読み取れ、新たな驚きがありました。笑!
この先も年齢を重ねていくにつれ、ますます私の「たからもの」になっていくでしょう。
日記を書いてくれていたこともありがたいことですが、よくずっと捨てずに持っていてくれたなぁ!
それから、私はこんなにも大きくなって、今、生きていられることに感謝の気持ちでいっぱいです!
ありがとう!!