暮らし百景アーカイブ29

オリジナル言語。「なっちゃん、『やらわかい』じゃなくて、『やわらかい』だよ。言ってみ」「やらわかい」「そうじゃないよ。『やわらかい』」「やらわかい」「もー、ちがうよー」6才の息子による3才の娘へのレッスンが始まった。最近息子は小学校で本の音読をほめられたらしく、やたらと「言葉」にうるさいのだ。それにしても、小さな子供の発する言葉は可愛くて不思議だ。おそらくはどの家庭でも一般的な幼児語の他に、その家独特の、あるいはその子独特のオリジナル言語が存在しているのだろう。娘がもっと小さかった時には「ぱう」だった。理由は全くわからないのだが、彼女はオムツが取れる頃まで「食べる」を「ぱう」と言っていたのだ。「食べたい」は「ぱいたい」に、「もう食べた」は「もうぱうた」に正しく(?)活用され、それは一時期わが家の日常語となった。例えば、子供達の食事がのろのろと進まぬ時には、妻が少し高くなった声で「早く、ぱいちゃいなさい!」そう言えば、息子はどうだったっけ。えーと、たしか……。記憶をたどっていると、妹への講義を終えてサッカーのビデオを見始めた息子がこう言った。「パパあ、さっきこのテープ見てたでしょ。また巻きどもしてなかったよ」

オリジナル言語。「なっちゃん、『やらわかい』じゃなくて、『やわらかい』だよ。言ってみ」「やらわかい」「そうじゃないよ。『やわらかい』」「やらわかい」「もー、ちがうよー」6才の息子による3才の娘へのレッスンが始まった。最近息子は小学校で本の音読をほめられたらしく、やたらと「言葉」にうるさいのだ。それにしても、小さな子供の発する言葉は可愛くて不思議だ。おそらくはどの家庭でも一般的な幼児語の他に、その家独特の、あるいはその子独特のオリジナル言語が存在しているのだろう。娘がもっと小さかった時には「ぱう」だった。理由は全くわからないのだが、彼女はオムツが取れる頃まで「食べる」を「ぱう」と言っていたのだ。「食べたい」は「ぱいたい」に、「もう食べた」は「もうぱうた」に正しく(?)活用され、それは一時期わが家の日常語となった。例えば、子供達の食事がのろのろと進まぬ時には、妻が少し高くなった声で「早く、ぱいちゃいなさい!」そう言えば、息子はどうだったっけ。えーと、たしか……。記憶をたどっていると、妹への講義を終えてサッカーのビデオを見始めた息子がこう言った。「パパあ、さっきこのテープ見てたでしょ。また巻きどもしてなかったよ」

オリジナル言語。「なっちゃん、『やらわかい』じゃなくて、『やわらかい』だよ。言ってみ」「やらわかい」「そうじゃないよ。『やわらかい』」「やらわかい」「もー、ちがうよー」6才の息子による3才の娘へのレッスンが始まった。最近息子は小学校で本の音読をほめられたらしく、やたらと「言葉」にうるさいのだ。それにしても、小さな子供の発する言葉は可愛くて不思議だ。おそらくはどの家庭でも一般的な幼児語の他に、その家独特の、あるいはその子独特のオリジナル言語が存在しているのだろう。娘がもっと小さかった時には「ぱう」だった。理由は全くわからないのだが、彼女はオムツが取れる頃まで「食べる」を「ぱう」と言っていたのだ。「食べたい」は「ぱいたい」に、「もう食べた」は「もうぱうた」に正しく(?)活用され、それは一時期わが家の日常語となった。例えば、子供達の食事がのろのろと進まぬ時には、妻が少し高くなった声で「早く、ぱいちゃいなさい!」そう言えば、息子はどうだったっけ。えーと、たしか……。記憶をたどっていると、妹への講義を終えてサッカーのビデオを見始めた息子がこう言った。「パパあ、さっきこのテープ見てたでしょ。また巻きどもしてなかったよ」

image-02-s-02

一覧を見る

ご意見・ご感想をお寄せください

Page Top