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昭和の時代の午後11時は深夜だった。
高度経済成長に伴って国民は次第に夜更かしになったが、それでも昭和40年代までは時間の感覚も相当に前倒しで、午後11時は善良な市民にとっていわば非常の時刻だったのである。
たとえば、「11PM(イレブン・ピーエム)」という大人向けのバラエティー番組があった。午後11時がそのままテレビ番組のタイトルになるということは、やはり非常の時刻だったのである。もっとも、コンビニエンスストアのなかった時代には「11」を「イレブン」と読む人はなく、「午後」を「PM」と表記する習慣もなかったから、多くの人々にとってそのタイトルは謎めいており、いかにも深夜番組にふさわしかった。
ともかく午後11時を回れば、開いている店などなかった。飲食店もほとんど閉まった。酔客は家に帰るほかはなく、腹をすかせた若者は我慢して寝るほかなかった。
そうした生真面目な市民生活の法的根拠は各自治体の定めた「青少年保護育成条例」なるものだった。正式名称は地方によって異なるだろうが、つまり読んで字のごとく、内容は同じである。
しかし考えてみれば、健全な青少年を育てるためにさっさと店じまいするというのもおかしな話で、おそらくはそうした大義名分を掲げて、箍(たが)の緩んだ世間一般の風俗を引き締める狙いであったと思える。
景気はとどまるところなく上り続け、人々はより自由を求める。それでも社会を支配する世代はいまだに保守的な戦前派だった。価値観のちがいは矛盾とストレスを生み、それらも昭和39年の東京オリンピック開催で一挙に解決するかと思いきや、どっこいそうとはならなかった。戦争、敗戦、復興、という歴史の壁はオリンピックで乗り越えられるほど生やさしくはなかった。
はたして午後11時は日常であるのか非常であるのか。それはあの時代の国民的な課題だったと思う。
しかし、その後ほどなくして私は、午後11時が非常の時刻にちがいない生活をおくるはめになった。
まさか刑務所に入ったわけではない。陸上自衛隊を志願したのである。その突飛な行動の理由は、建前で言うなら敬愛する小説家の自殺であるけれど、正しくは当時の若者たちが等しく抱いていたカウンターカルチャーに対する、個人的なカウンターであったと思われる。すなわち、付和雷同してわけのわからぬ学園闘争に加わるなどまっぴらごめん、ヒッピーだのフーテンだのを気取るのはてんで趣味に合わず、かと言って周辺は騒々しく、とうてい伝統的文学青年でいられるはずはない。
そんな不安定な浪人生活の折も折、稀代の小説家があろうことか自衛隊の駐屯地で腹を切った。その行為が狂気でもアナクロニズムでもないとするなら、おそらく当時のカウンターカルチャーに対する、彼の個人的なカウンターではなかろうかと私は考えた。
その仮説が動機になったのである。同世代のカウンターカルチャーにうんざりとしていた私は、おあつらえ向きの避難場所を発見したのだった。
6時起床。22時消灯。
おそらく全世界共通の営内生活であろう。緯度によって多少の按配はあるかもしれないが、ナポレオンやクラウゼビッツの時代からそういう時間割になっているらしい。
すなわち、19歳の3月某日をしおに、私の一日から午後10時以降が消えた。いやさらに正確に言うなら、「午後」も消えて24時間表示となった。そして同時に、「午後11時は日常であるのか非常であるのか」という国民的課題も、個人としてはたちまち解決されたのである。
起床。食事。国旗掲揚と降下。点呼。消灯。そうした日常の節目はラッパの吹鳴が合図となる。すべては任意ではなく強制である。しかし、慣れてしまえば任意より強制の方がらくちんだというのは、意外な発見だった。
そもそも祖父母に育てられたせいか、早寝早起きの習いがあった。体格にも恵まれ、運動も好きだったから、自衛官はほとんど天職といえた。それでも数年で除隊したのは、このまま甘んじてしまうのなら、腹を切った小説家と同じ話なのではないか、と思ったからである。
6時起床。22時消灯。この時間割は今でも変わらない。つまり、実は私にとっての午後11時は、生まれついて非常の時刻だったことになる。
特段ストイックな性格でもないのに、祖父母の躾(しつけ)と奇妙な条例と自衛隊生活のたまもので、年を食っても一日が長い。
©講談社/森 清
1951年東京都生まれ。小説家。『鉄道員(ぽっぽや)』(直木賞)、『壬生義士伝』(柴田錬三郎賞)、『お腹召しませ』(中央公論文芸賞・司馬遼太郎賞)、『中原の虹』(吉川英治文学賞)、『終わらざる夏』(毎日出版文化賞)、『帰郷』(大佛次郎賞)など、幅広いジャンルの作品を発表、映画化・ドラマ化されたものも少なくない。2019年菊池寛賞受賞、2015年紫綬褒章受章。2011-2017年日本ペンクラブ会長。2021年現在は直木賞、吉川英治文学賞、渡辺淳一文学賞の選考委員を務めている。