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息子が赤ん坊だった頃、夜の11時はひとつの分かれ道だった。9時前くらいから、息子を寝かしつける。絵本を読んだり、縫いぐるみについている布のタグをしゃぶらせたり、背中をさすったりしているうちにようやく、彼は眠りに落ちる。と同時にいつの間にか、私まで意識を失っている。はっと気がついて、慌てて時計を見ると、たいてい11時だ。
私は後悔にさいなまれる。何という失態だ。子どもと一緒に寝てしまうなんて。本当なら、彼が静かになったと同時に布団から抜け出し、小説を書くべきだったのに、一日のうちで最も集中できる貴重な時間を失ってしまった。何の生産性もない2時間がただ無意味に通り過ぎていった。もはや取り返しはつかない……。
「いや、待て」
打ちひしがれる私に向かって、もう一人の自分が声を掛けてくる。
「今からでも遅くないぞ」
夜は長い。電話もかかってこなければ、玄関の呼び鈴が鳴る心配もない。2時間うとうとして、体力だって回復した。何より赤ん坊が眠っているのだ。これ以上の好条件があるだろうか。
「さあ、書くのだ。昼間雑用に追われてできなかった原稿を進める時が、今こそ訪れた。今書かなくて、いつ書く」
相手は更に責め立ててくる。
「2時間も寝たのだから、朝までずっと起きていたっていいくらいだ。思う存分、仕事ができるぞ」
中途半端にうたた寝をしてだるくなった体を、私はどうにか持ち上げようとする。そこへ、今度はもう一人、別の私がささやきかける。
「そんなにカッカしなくても、まあ、いいじゃない」
とても甘くて優しい声だ。
「あなたは疲れているのよ。無理して仕事をしても、いい小説など書けない。とにかくゆっくり眠りなさい。それが一番」
そうだな、と私はつぶやく。いつものことだが、とにかく一日中忙しかった。おっぱいをやって、おしめを替えて、おっぱいをやって、おしめを替えて、の繰り返し。抱っこし、ゲップを出させ、哺乳瓶を洗い、消毒し、ご飯を潰して離乳食を作り、洗濯をし、掃除機をかけ、大人のご飯を作る。ゲラをチェックし、ファックスを送り、本を読み、そうしている合間に、1字、1字、小説を書く。
よくやったじゃないか。肝心の小説はほとんど前進しなかったけれど、一日、無事安全に赤ん坊を守っただけで十分だ。小説はまた、明日書けばいい。明後日でも明々後日でもいい。さあ、このまま本格的に朝まで寝てしまおう……。
「本当に、それでいいのか?」
ああ、また声が聞こえてきた。
「締め切りは待ってくれないよ」
確かにそのとおりだ。今日、1枚書いておけば多少は気が楽になる。いや、半枚だって構わない。とにかく1行でも、1文字でも前進あるのみ。
夜は長い。窓の外は暗闇に包まれ、聞こえてくるのは赤ん坊のかすかな寝息だけだ。小説を書くのにこれほど集中できるひとときが他にあるだろうか。書かなければ、書かなければと一日中焦って、ようやくその時が来た。しんどい体をちょっと頑張って起こせば、小説だけに打ち込める時間を味わえる。
しかし一方で、もう一人の私はいまだに決心できずにいる。眠りたい。小説のことなど忘れて朝までぐっすり眠りたい。無理をして体を壊したら元も子もない。明日、息子がお昼寝している時に全速力で集中するのだ。いくらでも取り返せる機会はある。どんなに頑張ったとしても、所詮、自分の才能がどれほどのものであるかは、よく分かっている。
小説を書くか、寝るか。この数えきれない午後11時の分かれ道を、私はいくつも通り過ぎてきた。右へ行った夜もあれば、左を選んだ夜もあった。どの選択も、間違いではなかったと、今、思う。正解も間違いもなく、ただがむしゃらにやっていた。その結果がすべて、現在につながっている。つまり、今でもまだ小説を書き続けている、という現在に。
赤ん坊だった息子は大きくなって、独立した。今では夜の11時、私は誰に遠慮もなく自由に過ごすことができる。映画を観てもいいし、本を読んでもいい。もちろん小説を書く時間はたっぷりある。
ならば、時間が足りなくて大忙しだった頃に比べて、ずっといい小説が書けるようになったのか、と問われると、首を横に振るしかない。時間の有無には関係なく、以前も今も、相変わらず小説を書くことは難しい。
午後11時。一人、仕事場で机に向かっていると、赤ん坊の寝息がたまらなく懐かしくなることがある。
1962年岡山県生まれ。1988年『揚羽蝶が壊れる時』で海燕新人文学賞、1991年『妊娠カレンダー』で芥川賞、2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞と本屋大賞、2004年『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、2013年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する。その他『人質の朗読会』『カラーひよことコーヒー豆』など多数の小説、エッセイがある。