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都会から田舎へと移り住んだことで、めっきり減ったものがある。一日のうちに時計を見る回数だ。
仕事はもともと家でするし、人との約束や待ち合わせも毎日あるわけではない。朝の光がまぶしくなれば起き、おなかがすけば連れ合いと2人分の食事を作り、締め切りが立て込んでいない日は早めに夕食をとって、晩は軽いものをつまみながら晩酌をする。時計の長い針は要らない、短針だけあれば充分、といった生活だ。
晩酌はだいたい、9時頃に始める。連れ合いは焼酎のお湯割りかハイボールを飲み、お酒に弱い私はしゅわしゅわの日本酒か、リキュールのソーダ割りをちょっとずつゆっくり飲む。
けれど最近は、途中で必ず、どちらからともなく時計を気にするようになった。
これにはわけがある。階下の寝室で、〈サスケ〉が待っているのだ。
3年前の春に、最愛の三毛猫〈もみじ〉を看取った。奥歯のさらに奥に進行の速い悪性の腫瘍ができて、気がついたときにはもう手遅れだった。
余命3カ月と言われて覚悟してから10カ月。いずれ訪れる別れの瞬間を息を詰めて待ちかまえるような日々だったし、船出する彼女を見送るのは生きながら半身をちぎり取られるほどつらかったけれど、それでも、準備の時間があるのはありがたかった。その前の年、父は、ある日突然倒れて亡くなったのだ。
もっとこうしてあげればよかった、あれも伝えておけばよかった──いくら思っても、後悔というものはなぜかいつも間に合わない。父、猫、その翌年に母、3年続けて同じ桜の時季に近しいものを見送っているというのに、どうして私は学ばないのだろう。
そうして昨年の秋。我が家の猫たちのうちでもいちばん内弁慶で甘ったれのサスケが、いきなり糖尿病を発症し、腰も立たなくなった。みっちりと筋肉質だった身体がほんの数日ですっかり痩せて、白黒ハチワレの顔にもまるで生気がなくなった。どうして私の愛する者はみな遠ざかってしまうのか。もしかして私は、これまで誰も幸せにしていないんじゃないか、と目の前が暗くなった。
とはいえ、神様はいないわけではないらしい。いや、先に逝ったもみじが追い返してくれたのかもしれない。一時は生死の境をさまよったサスケは、幸いにも生還して今に至る。
そのかわり、血糖値を安定させるために1日3回、インスリンを注射してやらなくてはならない。朝7時、午後3時、そして夜11時。ついでにフードもいちいち計量し、6回に分けて与える。
もうすぐ7歳──猫の糖尿病は治る場合もあるというけれど、そうでなければこれがこの先も一生続くことになるわけだ。
こういう時は、自宅にいられる物書きという仕事が、ほんとうにありがたい。
11時が近づくと、私たちは晩酌の片付けをそそくさと済ませて階下に下りる。
たいてい、大声でなじられる。病気の子どもがしばしばそうであるように、サスケの甘ったれな暴君ぶりは今やとどまるところを知らない。こちらが小さな注射器できっちり薬液を量る間、逃げもせず足もとに座って待っているのだって、チックンが終われば美味しいものをもらえるとわかっているからだ。
時計を確認し、サスケ専用のダイアリーをひろげて、インスリン2単位、フード15グラム、尿糖プラスマイナス、便良好、などなどと書く。
それから私たちは歯を磨いて、おなかの満ち足りたサスケとともに布団に入る。もみじを失ったあと、どうしてあんなに夜更かしばかりして彼女に寂しい思いをさせたんだろうと何度も後悔したから、もう同じ思いはしたくないのだ。
腕枕をしてやって眠りに落ちても、だいたい4時間後には、耳もとで「あん。あん」と正確すぎる腹時計アラームが鳴る。よしよしわかったから、と起き上がり、しょぼしょぼの目をみひらいてフードを10グラム量って与えると、私はそのまま上着に袖を通し、朝7時の注射まで原稿に向かう。
眠いことは眠い。けれど不思議とつらくない。
病気が治っても、治らなくても、できるだけ上機嫌なまま一生を全うして欲しい。
それまでの間、我が家における夜11時とは、温かな黒い毛のかたまりを抱いて布団にくるまる時間なのだ。
撮影:冨永智子
1964年東京都生まれ。大学卒業後、会社勤務や塾講師などを経て、1993年『天使の卵―エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞して作家デビュー。2003年『星々の舟』で直木賞、2009年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞をトリプル受賞。2021年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。その他の小説に、『放蕩記』『嘘 Love Lies』『雪のなまえ』など。エッセイには『もみじの言いぶん』、『猫がいなけりゃ息もできない』などがある。