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とあるひととき ~作家の見つめる風景~

夕暮れの諦め

episode 10

wataya risa  綿矢りさ

最近、一日の過ごし方が少しずつ変わってきて、以前はあまり意識しなかった、季節の移ろいや日が沈みゆく時刻に敏感になった。新型コロナウイルスのニュースを気にしているせいだ。

夜なお明るい街のネオンや夜じゅう動いている交通網、すぐ部屋を暖めてくれるエアコンなどのおかげで、いつからが深夜で、いつからが本格的な冬なのかを深く考えずに生活できていた。ちょっとしくじって風邪を引いても、あーやっちゃったなと後悔はするものの、何日かすれば治るだろうと楽観視しつつ耐えていた。

しかし今ではどこへ行ってもまず入り口で体温検査があり、咳をすれば目立つ。ただの鼻風邪でも引くと不便になる状況が続いている。自然と気持ちも引き締まり、まだ陽がある暖かいうちに出かけよう、夜になるまでに帰ってこようと日々の行動も変わってゆく。

日が暮れてから夜に変わるまでの時間帯、気力は太陽と共に一旦去るが、一日が終わるのが残念だなという不完全燃焼の気持ちが残っている場合、次は夜に向かって、不埒なパワーが満ちてくる。本当はゆっくりと就寝に向かって、リラックスしてトーンダウンできればいいけれど、夜型のせいか深夜になればなるほど、今日はまだ終わらないぞ!?という気分になって、変な時間に仕事を始めたり、映画を見始めたりして、寝不足になったりする。夕方から用事があってご飯を誰かと食べるために出かけたりできれば、上手くテンションを調節できるけど、最近は夜間の外出や会食もあまり気軽にはできないので、別の方法を考えなくちゃならない。

今のところ解決策としては、夕方にお風呂に入ってしまうこと。外出から帰ってきたらその足でお風呂場に直行し、あらかじめ沸かしておいた湯に浸かり、化粧も落として髪も洗ってしまう。そうすればもう外には出られないという諦めの気持ちと、身体が温まって眠気が出てくるのとで、自然と夜ふかしができなくなる。

太陽が沈むことで、陽光だけでなく、何か上から降り注ぐものからの重圧が取り払われ、不思議と心穏やかになるのも夕暮れの特徴だ。気が張って、あれしなきゃこれしなきゃ、と忙しかった一日のプレッシャーが、少しずつ諦めに変わり安らかになり、今日できなかった分は明日頑張ろうの方へ段々と気持ちが移行してゆく。

去年は身体の健康に気を付けてきたけれど、新型コロナウイルスが長引いて持ち越した今年は精神面の健康にも気を付ける必要がある。今回のことは多かれ少なかれ、ほとんどの人の生活に影響を及ぼし、気づけば身体よりも心の面で、その影響をもろにかぶってしまった人がたくさんいたとしても、おかしくない。

普通、自分や友人が元気がないのは、忌むべきというか、周りを心配させる状況で、しょんぼり肩を落としていると「どうしたの?」と声をかけたり、かけられたりする。でもこの元気のない状態の素直さ、弱さをかくさない潔さが、意外と心の健康を守っていたりするのではないだろうか。

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自宅にいる時間が長くなったので、家で何種類かの植物を育てるようになった。屋外で育てている植木のうち、水をあげる間隔が空くと、まっさきにへたれる植物がある。葉や茎が紅しょうが色の植物なのだが、まだ他の植物が普通のときでも、長い茎をへにゃりと折り、葉が地面についてしまうほど萎(しお)れ、早く水をくれーと全身で叫ぶ。あわてて水をやると、次の日には同じ植物と思えないくらいまっすぐに茎を伸ばして葉もつやつやだ。

育て始めは、ほかの植物より弱いのかな、季節の変化などにも対応しきれなくて早めに枯れてしまうのかなと心配だったが、意外にかなりたくましいのに、年月を経て気づいた。外で太陽と風に当たり、水さえちゃんともらえれば、ごきげんなタイプなのだ。

植物と違い、人間には自分の意思を言える口がある。だから何かあれば、特にいい大人なら自分で何かSOSを言えるだろう、と思いがちだ。でもこれが案外難しく、言う前に絶望してしまったり、もし言っても何も事態が変わらないときがある。言葉は便利だけど、うまく伝わらなかったり、逆に伝わりすぎたりする。

夕暮れの諦めが、明日また立ち上がるためのパワーを貯める。何か口から発する前に、元気なく、思いきり萎れてみるのも、悪くないのかもしれない。無理して笑うより、もう無理ですと口で言うより、心のままに体も素直になれば、取り返しがつかないほど心が疲れることも減るかもしれない。

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撮影:イマキイレ カオリ

綿矢りさ

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