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夕暮れの空にはショーマンシップを感じる。
刻々と西へ移ろう夕日の赤、朱、紅。空一面を燃えあがらせるそれは、しだいに薄れて橙や山吹色、桃色、紫など多層的な色彩のグラデーションに変わる。やがてはそこに濃紺の闇がかぶさり、星の時間が幕を開ける。
自然が象(かたど)る一過性の天体ショー。
その日、その一瞬だけのスペクタクル。
空が晴れているかぎり、こんなショーを毎日でもタダで楽しめるのだから、この世界も捨てたものではない。それがたとえどんな一日であったとしても、頭上の舞台は私たちをたまゆら人間社会から解き放ってくれる。
と、さんざん夕暮れを絶賛しておきながらアレなのだが、じつは私も昔からずっと夕日の恩恵をかみしめて生きてきた、というわけではない。
夕焼け空の滋味に目覚めたのはわりと最近のこと。
以前は太陽とすれちがう一方の日々を過ごしていた。
あれは二十代の頭、私が社会人になったばかりの頃だった。社会人といっても、始めた仕事はフリーライターで、世間一般的な社会性からはむしろ遠のいていた。多くの物書きが通る道とたがわず、私の生活サイクルは瞬く間に乱れ、見事に昼夜が逆転した。
仕事に取りかかるのは夕食後、同居していた両親が寝静まった頃にようやく自室でパソコンを立ちあげる。空が白み、両親が起床するのと入れちがいに就寝。目覚めるのは午後三時や四時で、太陽は完全に傾いている。
まだ何もしていないうちから日が暮れる。これは強烈にむなしい。当時の私は日ごと「すぐに立ち去るつれない恋人」を見るような目で夕日をながめていた気がする。
ならば心を入れかえて昼間に執筆すればいいのだが、当時はその発想のかけらもなく、「筆がのるは丑(うし)三つ時」とかたくなに思いこんでいた。昼間に書くなんてちゃんちゃらおかしい、くらいの思いこみだった。
一方、学生時代の友人たちは皆、かたぎの会社員となって定時に通勤し、就業後は飲み会だとか、合コンだとか、バブル末期の華やかなOLライフを満喫していた。
ある夕刻、そんな華やか系の女友達が、会社帰りに突然うちを訪ねてきた。
「さっき起きました」みたいな顔の私が玄関の戸を開けると、そこには「ひとっ働きしてきました」という顔の彼女がパリッとしたスーツ姿でたたずんでいたのだった。
開口一番、彼女は言った。
「トイレ貸して」
潔癖症の彼女は駅のトイレを使えず、駅から近い私のマンションに駆けこんだのだった。
「ありがと。じゃ、これから飲み会だから!」
久々に顔を合わせた友は瞬く間に去った。
夕焼け空の下、まばゆいスーツが遠ざかっていく光景が今も脳裏に焼きついて離れない。
しかし、時はめぐる。
十年近く続いた夜型生活は、ある日突然、終わりを告げた。転機となったのは結婚だ。
夫となった相手はかたぎの会社員で、当然ながら朝に起き、夜に眠る。親とはちがって私のでたらめな生活サイクルを黙認してはくれない。しかたなく私も朝起きて夜眠るようになった。どれほどちゃんちゃらおかしくても昼間に執筆するしかなかった。
誰かと足並みをそろえて生きるには、まずは太陽と足並みをそろえる必要がある。それをなおも私に実感させたのは犬の存在だ。
結婚から数年後、我が家は二匹の保護犬をむかえた。一緒に暮らしてみると、犬という生きものは、夫という生きもの以上にエネルギッシュに朝の早くから動きだす。そして、お腹がすいたと要求する。夕暮れ時には散歩に連れていけと要求する。いそいそとその要求に応えることで、私はいよいよ太陽と呼吸を合わせていった。
思えば、夕焼け空の恩恵を教えてくれたのも犬たちだった。
人間、歩いている時はたいてい前を見すえ、まっすぐ目的地をめざしていく。しかし、犬の散歩には目的地がない。故に瞳がふわふわ宙を舞う。
何回も何回も何回も、私は散歩の途中で空をながめた。夕日に照らされた犬たちの背中もながめた。犬と夕日はとてもよく似合う。犬と落ち葉もよく似合う。よって、私が思うところのベストショットは「夕暮れ時に落ち葉を踏んで歩く犬」の情景だ。
時は再びめぐりめぐって、今、我が家に犬はいない。一昨年に一匹が、この夏にもう一匹が旅立った。夕刻の散歩もなくなった。
それでも今なお私の瞳の奥で、夕焼け空の下には必ず二匹の犬がいる。
思い出が光となり奥行となって、天体ショーはますます美しい。
撮影:酒井俊春
1968年東京都生まれ。1990年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー、同作品で椋鳩十児童文学賞を受賞。以降、1995年『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞、1999年『カラフル』で産経児童出版文化賞、2003年『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞、2006年『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞。2017年『みかづき』で中央公論文芸賞などを受賞する。児童文学、小説、エッセイ、絵本など著書多数。