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とあるひととき ~作家の見つめる風景~

朝の損得

朝の損得

朝の損得

episode 04

kakuta mitsuyo 角田光代

ものを書く仕事をしているのに、定時で働いていると言うとたいていの人が驚く。私は三十歳のときから二十年間、平日の朝の九時から夕方五時まで、と時間を決めて仕事をしてきた。仕事が増えすぎて、その時間内で間に合わないときは、残業ではなく、仕事はじめの時間を繰り上げた。もっとも忙しい時期は朝の五時前に仕事場にいっていた。

五十歳になって、仕事の開始時間のみフレックスにした。朝の八時でもいいし、十時でも十一時でもいい。終業時間は以前と同じ、午後五時のままだ。とはいえ、平均すればやっぱり九時前には仕事場に着き、仕事をはじめている。

しかしながら私はそんなにきちんとした人間ではなく、大幅に寝坊することもある。前日に友人と飲んで盛り上がってしまい、日付が変わってから帰れば、当然ながら翌日は起きられない。十時前後に目覚めて、二日酔いのまま仕事場に向かう。二日酔いのせいばかりではなく、気分がどんよりする。損したような気持ちでいる。朝が短いと、なぜか私は「損した」と思うのである。

十時ならまだ、私の分類では朝だ。十一時だともう朝ではない。十一時に目覚めたときは、ものすごい失敗をしたような、悪いことをしたような、たいせつなものを失ったような気持ちになる。午後まで寝ていることは、私にはまずできない。

じつのところ、あまりにも前からごくしぜんに、意識もせずに朝に起き、寝坊をすればどんよりしていたので、それがなぜなのか考えたことがなかった。こうして文章にして書いて、はじめていったいなぜなのか不思議に思っている。なぜ、私は朝が短いと損をしたと思うのだろう? なぜ、朝がないと絶望的な気分になるのだろう?

一日は二十四時間。その一日は朝からはじまるものだと、無心に信じ切っているのだろう。朝が短いと、一日そのものが短くなったように思えて「損した」と思うのだろうし、昼近くに起きれば、一日の半分が消えてしまったように思えるのに違いない。

不思議なのは、夜更かししても「得した」とは思わないところだ。朝十時に起きても、午前二時、三時まで起きていれば、活動している長さは変わらない。なのに私は夜更けの時間を一日のなかに換算していない。一日のはじまりが絶対的に朝であるならば、夜十一時ごろには、一日は終わっている。それ以降、夜の時間にいくら起きていようと、それは私にとって終わった時間に過ぎないのだと思う。

夜にできることが限られているのも、終わった時間だからだ。深夜を過ぎれば電車は止まるし、閉店する店も多い。友人たちと連絡を取るのもはばかられる。何より暗い。夜に何ができるか、と考えれば、酒を飲むか、DVDを見るか、本を読むか……と挙げられるのはいくつかしかない。朝のようにはいろいろできない。もちろん私は友人や夫と夜更けまで酒を飲み語り合うことが好きだが、それで一日が増えたようには思わない。ただ夜の、終わった時間の奥底にずんずんと沈んでいくような感覚がある。

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私の夫は私とは正反対で、昼近くに起きて、夜更けまで仕事をしている。結婚したばかりのころは、私に合わせて朝に起きて日付が変わる前に眠る暮らしをしていたが、あるとき体調を崩した。早寝早起きが体質に合わなかったようだ。それでもともとの夜型に戻した。そんな夫は、もちろん昼に起きて暗い気分になることもないだろうし、夜更け以降が終わった時間などとは思いもしないだろう。

こうした時間感覚はひどく個人的なものなのに違いない。一日のはじまりはぜったいに朝で、夜には一日が終わる、という私の内にある絶対的感覚は、ひどく原始的だと思う。日がのぼれば起きて活動し、日が沈めば眠る。

いったいいつ、なぜ、どのようにして、その原始的感覚が、こうも強固に私のなかに根づいたのか、私には知りようがない。

仕事が休みの週末、朝起きて雨が降っていなければ十キロほど走っている。走るのは好きではないのだが、長年の習慣になっているので、平日と同じ朝早くに目が覚めてしまう。目が覚めると、好き嫌いにかかわらず「走らねば」という気持ちになる。それで毎週末、いやいやランニングウェアに着替えて家を出る。

私はたぶん、朝がはじまりだと信じる以上に、朝の時間帯がすごく好きなのだと思う。まだあたらしいような陽射しや、その陽射しを浴びる木々や川面や家々の屋根、まだひとけの少ない道、澄んだ空気なんかを含めた、朝そのものが好きだ。そうか、こんな単純なことが答えだったのか。朝の時間が好きだから、走るのが嫌いでも早朝ランニングを続けているし、きちんとした人間でもないのに、早朝に仕事場に向かうことができる。朝がなくて損した、と思うのも、だからだったのか。自分のことながら新発見だ。

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撮影:垂見健吾

角田光代

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