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とあるひととき ~作家の見つめる風景~

間違いなく朝は

間違いなく朝は

間違いなく朝は

episode 03

nishi kanako 西加奈子

子どもが出来てから、朝の時間が長くなった。

朝はバタバタしてあっという間に時間が過ぎる、というようなことを言われるけれど逆で、私にとって朝の時間が一番長く、ゆったりしているような気がする。

布団を畳み、洗濯機を回し、干す。朝ごはんを作って、自分と子どもの身づくろいをして、掃除をする。私の場合は朝のうちにその日の夜ご飯も作ってしまうので、1日の中で一番やることが多い時間のはずなのだけど、長いのだ。

というのは、子どもが随分早起きだから。5時とか、5時半には起きてしまう。平日は保育園に預けているのだけど、登園は9時。5時に起きた場合は、家を出るまで4時間もあることになる。なので、上記に書いたあらゆることをやっても、まだ1、2時間は余るのだ。

その時間、子どもとおもちゃで遊んだり、絵を描いたり、一緒に映画(まるまる一本!)を観たり、筋トレをしたりする。夫がやっと子どもを保育園に送って行ったら、なんだかもう一日の大半の体力を使い果たしたような気になる。私の仕事はこれからなのに、パソコンを開く頃には、ぐったり疲れている。あの余った1、2時間を寝る時間に当てられたら、と思うけれど、そういうわけにはいかない。いや、そうさせてくれない。

早く起きすぎたからといって、子どもがしばらく私たちを寝かしておいてくれる、などということはないのだ。子どもが起きる時間は、すなわち私たち両親の起きる時間なのである。子どもって王様だ。特に2歳になったばかりの子どもは傲慢この上ない王様である。「もうちょっと寝かせて」などと言っても容赦してくれない。「おーきーてー!」と叫びながら体の上に乗る、木琴のバチで頭をたたく、ひどい時は耳元で太鼓(のおもちゃ)をたたく。夜中に何度も泣いて起こされた授乳中よりは全然マシだけど、正直「なんでそんな早起きやねん」とは思う。夜はだいたい8時に寝るけれど、興奮しているときや私たちの友人が来ているときなどは9時、時には10時まで起きていることもある。それでも朝は早い。結果登園前にうとうとまどろみ始めたりするものだから、「もっと寝てたらいいやん!」と思う。「ペース配分間違ってるで!」とも。だけど、子どもを見ていると、なんだか納得してしまう。

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生きていることが、とにかく楽しそうなのだ。

目が覚めて、1日が始まるのがうれしくて仕方がなさそうなのだ。

目覚めた瞬間から笑っているときもあるし、船をこいでいるのに眠るまいと努力しながら遊んでいるときもある。大人だったら睡眠が一番大切、とか、なんだったら現実のことを考えたくないから寝ようっと、ということもあるけれど、子どもにはない。全くない。

1分でも1秒でも起きていたい。

この世界で起きることを見逃したくない。

それって単純にものすごく羨ましいし、まぶしい。

実際、子どもの目線で生活をするようになって、大人になって忘れていたことを様々に発見するようになった。一番うれしかったのは、季節の変化に気づくようになったことだ。

冬の朝。5時やそこらなんてまだ真っ暗だ。でも、だんだん東の空が白み始める。その白さは時によって変化する。晴れる日はパールみたいな光る白で、曇りや雨の日は少しだけピンクがかっている。朝日と夕日の違いをきちんと分かるようになったのも、早起きするようになってからだ。全てを包み込む柔らかさのある夕日に比べて、朝日はにじり寄ってくるような強さがある。遠くで新聞配達のバイクの音が聞こえる。もう少したったら、鳥が鳴き始める。そして夜がすっかり明けたら、西の方に富士山が見える。

夏の朝は早い。つまり鳥の鳴く声が聞こえるのも早く、少し遅れてセミも鳴く。仕事を始める頃には早朝干した洗濯物がすっかり乾いていたりする。夏の日差しは強く、空気がかすんで富士山は見えない。

春はベランダの前の桜が満開になる。毎朝見ていると、満開に見える桜も、一日一日微妙に変化していることが分かる。重そうだった房が軽くなり、軽そうだった枝がたわわになっている。アリたちが5階のベランダまでやってくるのも春からだ。子どもはアリが好きらしく、いつまででも見ている。一緒に見ていると、アリは実に器用に歩いていることが分かる。

秋は最近、どんどん短くなっている。空気が格段に涼しくなり、あ、と思う頃にはもう冬の気配がする。その間も葉っぱたちは律儀に色づいて、静かに落ちる。

早起きは三文の得、という言葉があるけれど、子どもと一緒に朝を過ごしていると、得とか損とかどうでもよくなる。自分たちが今この世界で生きている、というものすごく当たり前のことを考える。

申請していなくても、お金を払っていなくても、朝は間違いなくやって来る。やっぱりそれも感謝とか、奇跡とか、そういうことではない。だからこそ尊いと思う。

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撮影:若木信吾

西加奈子

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