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とあるひととき ~作家の見つめる風景~

こうして背表紙は増えていく

こうして背表紙は増えていく

こうして背表紙は増えていく

episode 02

michio shusuke 道尾秀介

子供の頃、朝起きて台所を覗いたとき、そこにクロワキさんを見つけると嬉しかった。僕はクロワキさんが大好きだったのだけど、けっして安くはないので、我が家で目にすることは稀だったのだ。

大人になったいまは、多少自由にお金を使えるようになった。でも健康のため油分をなるべく控えるようにしているから、スーパーなどでクロワキさんを見かけてもあまり手に取ることはない。中にチョコレートが入っているクロワキさんなんて最高に美味しそうなのだけど。

いったいクロワキさんが何者かというとクロワッサンのことで、子供の頃に間違えてそう呼んでいたらしい。呼んでいた、ということはつまり一度ではないわけで、親はたぶん「はははは愉快愉快」ということで訂正しなかったのだろう。もしあのパンの本名を知らないまま大人になり、謎の苗字で呼びつづけていたらと思うと恐ろしい。この歳になると、人はあまり間違いを指摘してくれない。そういえば、ある女性編集者のお子さんは幼稚園でピアニカならぬ「パプリカをれんしゅうしてる」と言っていたらしいが、ちゃんと訂正してあげたのだろうか。パンに苗字がないのと同じく、パプリカに鍵盤はついていない。

と、こんなことを書いているのは、クロワッサン→クロワキさんの呼び間違いを久々に思い出したからで、どうして思い出したのかというと、たぶんいまが朝だからだ。

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人は、何かを記憶したときと同じ条件下で、そのことを思い出しやすいらしい。たとえばダイビングをやっている人が水中で憶えたことは、水中のほうが思い出しやすいし、朝の出来事は朝に思い出されることが多い。

人それぞれに好きな時間帯というものがあるのは、そのせいかもしれない。ある時間帯に、何か好ましい出来事が起きる。ふたたび同じ時間帯に身を置いたとき、それを思い出す。思い出すことで顔が上を向き、新たな経験をする可能性が高まる。そうして思い出がたくさん蓄積されていき、その時間帯がどんどん好きになっていく。もちろん、これと同じ仕組みで、嫌いな時間帯というものが出来上がってしまうこともある。たとえば僕も、会社勤めの頃は平日の朝が嫌いだった。好ましくない思い出が、きっとたくさん蓄積されていたのだろう。

ところで思い出というものについて、以前、面白いことに気がついた。

思い出を何にたとえるかで、その人の人生観が垣間見えるのだ。友人知人、これから結婚しようとしている恋人など、もし人生観を知りたいと思う相手がいれば、訊いてみるといいかもしれない。例を挙げると、アメリカのミステリー作家トマス・H・クックは「a beach strewn with landmines(地雷がばらまかれた砂浜)」と書いたし、向田邦子さんは名著『父の詫び状』の中で、思い出をねずみ花火にたとえた。いったん火をつけると、不意に足許で小さく火を吹き上げ、思いもかけないところへ飛んでいって爆(は)ぜ、人をびっくりさせると。

悲劇が起きた場所を訪ねて世界中を旅してきたトマス・H・クック。戦後の大変な時代に青年時代を過ごした向田邦子さん。まさにお二人ならではのたとえだろう。

僕にとって思い出というのは、もっと安全な、火を吹いたり爆ぜたりしないもので、本棚のイメージに近い。いろんな本を読んでいると、どうしても好きな作品とそうでない作品が出てくる。でも後者はわりとためらいなく処分してしまえる性格なので、本棚には自分が好きな本ばかりが増えていく。それらの背表紙を眺めていると、いろんな感情がつぎつぎ思い出されてきて、また新しい本がほしくなり、どこかで手に入れてくる。その本が好きだと思えれば棚に並べるし、そうでなければ並べない。我ながら穏便すぎる人生観で、ちょっと恥ずかしい。

と、ここで中断。

「ちょっと恥ずかしい。」まで書いたところで、原稿仕事をいったんやめ、こんど新刊を出す出版社へサイン本をつくりに行ってきた。午前中の出版社にお邪魔するのはなかなか珍しい。するとたまたまビルのエントランスに、お子さんが幼稚園で「パプリカをれんしゅうしている」と言っていたあの女性編集者がいた。

「例の勘違いの話、エッセイに書いちゃったんだけどいい?」

念のためにそう訊くと、彼女はいったい何のことだかわからない様子。

「ほらあのパプリカの」

「はい」

「お子さんがピアニカをパプリカって呼んだ話」

「ピアニカをパプリカ……?」

しばらく話して、ようやく理解できた。どうやら「勘違いというのが勘違い」だったらしい。歌手の米津玄師さんに「パプリカ」という曲があり、お子さんはその歌を幼稚園で練習していて、彼女はそれをただ僕に話しただけのことだったのだ。

パプリカは本当にパプリカだったという、こんな馬鹿馬鹿しい話も、本棚の「朝」の段に並べておこう。

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道尾秀介

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